コンピューターのない生活は、どのようになるでしょうか ?
コンピューターのない生活は、たぶん現在のコンピューターがある生活よりもずっと楽しいものになるでしょう。
コンピューターがあるおかげで便利な世の中になりました。どんな情報でも容易に入手することができますし、大切なことを記憶せずともちょっと検索さえすればインターネットが教えてくれるし、文章だってあれこれ悩まなくてもAIが作成してくれます。こんなに楽なことはございません。
そうして、個々の人間の能力は退化して、いまやコンピュータがなければ何にもできなくなってきました。いやいや、そんなことはないと否定されるかもしれませんね。でも、漢字が思い浮かばなくなっていたり、字が書けなくなっていたり、ペンを長時間持てなくなったりしていませんか。足腰も弱くなっていたりしていて、仕方がないからジョギングやランニングなどで鍛えている、なんてことになっているのではないかと思うのです。
仕事についても、コンピューターの普及によって人件費よりもシステム利用料や通信費が重視されるようになって、人が介入できるのはエッセンシャルワークで、しかもそういう仕事の多くは賃金が安い、となっているのではないでしょうか。
結局、コンピューターを操作しているよいでいて、実はコンピューターに操られている、ただそれだけのことなのですよね。
長くなりましたが、コンピューターの普及によって当初は便利な生活をもたらしていましたが、やがて人間が疎外されてきているように思います。コンピューターがやってくれるからおまえなんかいなくたって良いわ、と。
そう考えていくと、コンピューターがない生活になれば、かつてのように人々がリアルに交流するようになり、コミュニティの活動が活発になり、ひいては人間と社会の復権に繋がると思うのです。
・・・そういうおまえだってコンピューターの恩恵に預かっているだろう、と。ごもっともであります。しかし、私はいつでもコンピューターのない生活ができる自信があります。なぜならば、私はその昔、コンピューターなどない生活をしておりました。だから、その時代に戻れば良いだけなのです。
コンピューターがなくなれば不便にはなりますし、行動範囲が限られるようになるでしょうが、反面、一人一人が自分の自我に気がつき、周囲の人々と協力し合える活気ある社会が取り戻せるようになるかもしれないと思うのです。
そういえば、最近は「向こう三軒両隣」という言葉も聞かれなくなりましたね。
あらっ、この言葉、ご存じありませんか?ならば、インターネットの検索サイトで検索してみてくださいな。
ちなみに、インターネット環境がない時代には国語辞典で調べていたものでございます。
えっ?国語辞典でどうやって調べるのかって?じゃ、国語辞典の使い方もネットで検索しちゃってみてくださいな。
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