この2ヶ月程度は新しい投稿ができずに過ぎておりました。
この間、私は、私が長く関心を持ってきたSocial Capital(ソーシャル・キャピタル)についての見識を深める期間を持っておりました。ソーシャル・キャピタルの勉強はまだ始めたばかりであって、いずれ研究者と呼ばれるようになりたいと願っておりますが、そこまでになるのにはしばらくの時間が必要になるものと思っております。
さて、今回はそのソーシャル・キャピタルを勉強していく中で考えてきた、ソーシャル・キャピタルが今後の社会においていかに重要なものになるかをReciprocity(レシプロシティ)の一例を挙げて述べていきたいと考えております。
私たちは常にたくさんの人々と何らかの関係を持ちながら生きています。他の誰とも関係を持つことなく人生を全うできる人など一人もおりません。私たちが生まれてきたときは体力も知識も全くない弱い状態であり、成長につれて体が強くなり知識も豊富になって、まさに心身ともに強くなってきます。そして、加齢や病気などの理由によって次第に体力も脳の働きも落ちてきて弱い存在になってくるのです。弱い状態で生まれ、やがて強くなって、また弱くなる。もちろん個人差もあるのですが、これが人の一生です。「そんなことは言われなくてもわかっておるわい」と言われるかもしれませんが、敢えてここでは確認だけしておきましょう。
これを図で表すと、あくまでもイメージながら、以下のようになるでしょう。

言うまでもないことかもしれませんが、生まれたての乳児が育ち、乳幼児、幼児、児童、生徒と育ってていくためには親、さらに親だけではなく多くの人々からの支援が必要です。必要とされる支援は成長とともに減少し、やがて支援が不要となりますが、教育を受ける期間を終了する時期と考えればほぼ20歳前後と考えて良いように思います。また、年齢を重ねてくると人は次第に弱くなってまいります。この時期は人により様々であり、病気や体調の変化、あるいはいわゆる定年などによって仕事を引退する時期あたりであったり、仕事ということでは生涯現役で仕事を続ける人もいたりしますが、いずれにせよ人は次第に弱くなり、この時期を過ぎると日々の生活を送るにあたっては福祉や介護などの支援が必要になってきます。
このように、人は弱い状態で生まれ育ち、やがて強くなり、加齢とともに弱くなって人生の終焉を迎えるということはご納得いただけることと思います。
弱い立場の存在は支援を必要としています。一方、現在は強い立場の存在である人もかつては弱い立場にあって支援を受けていたのですから、”支援を通して得たもの”を返す責任があります。この「支援を通して得たもの」は「利益」と呼ばれるのが通例だと思いますけれど、私はこの「利益」という言葉にはどうしても「お金」の意味が強くなることに違和感を持っております。そこで「利益」という意味とともに「恩恵」という意味も含む言葉として「ベネフィット」(Benefit)と呼ぶようにしております。
弱い立場の人にはベネフィットを受ける「権利」があり、また、強い立場の人にはベネフィットを提供する「責任と義務」があると考えます。
以上のことをさらに図で表してみますと以下のようになるものと考えております。

ベネフィットを受け、提供し、それが永続的に続いていくことによって社会関係が継続していくことが可能となります。提供したものが返ってくる、帰ってきたものをまた提供する、その繰り返しが相互協力、互酬性、互恵性であり、英語ではReciprocity(レシプロシティ)と言われます。レシプロシティはソーシャル・キャピタルでは欠かせない考え方の一つです。
ただし、一概に弱い立場の人々とはいっても、自ら進んで弱い立場になることを求めた人もいるかもしれません。弱い立場の人々とはあくまでも、そもそも弱い人、自らそうなることを望まずに弱くなってしまった人であって、怠けていたりサボっていたりして弱くなってしまった人とは異なります。そのような方には「まず第一に自分自身の努力が必要です」と申し上げておきます。
私は、ソーシャル・キャピタルの勉強と研究を始めてまだ日が浅く、ソーシャル・キャピタルを語れるようになるまでにはさらにたくさんの修行が必要です。したがって、偉そうな口を叩ける立場にもないことも重々承知しておりますが、それでも、少しでも多くの皆さんにソーシャル・キャピタルの大切さを知っていただきたいと思っております。できれば、日本政府に対してはデジタル庁よりも、新たな国家としての政策の柱として「ソーシャル・キャピタル庁」を創設していただきたいと考えるところでありますが、そこに至るまでにはまだしばらく時間がかかるでしょう。
今後は東北海道の情報とともに、ソーシャル・キャピタルのお話を多くするようにして、よりよい社会の実現に向かって微力ながら力を尽くしてまいりたいと考えております。
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