前回の「SDGsを達成するために必要なこととは。」の最後に書いた「社会資本主義」は、現代社会においてその定義もその意味もまだ明確ではないというのが実情であると思います。ついては「社会資本主義」について改めて考えてみる必要があるでしょう。
しかし「社会資本主義」を考えるにあたっては「社会資本主義」の前提となる「社会資本」について考えなければならないと思います。
今回はその「社会資本」について、これもまた明確なものではないけれども、今の私が考えるおおよその姿を思いのままに書き出してみることにします。
「社会資本」については様々な立場からの多様な定義、考え方があるように見受けられます。そこで私なりの考えを提示したうえで、皆様のご意見をいただければ幸いと思っております。
「社会資本」は、特に日本においては道路、水道、ガス、電気などの生活や産業の基盤となる設備、また同様に学校や病院、福祉施設、文化会館、公園といった施設などをいうことが多いのではないかと思います。これらはいわゆるインフラストラクチャー(infrastructure・インフラ)といわれる社会基盤であって、英語にすると”Social Overhead Capital”(ソーシャル・オーバーヘッド・キャピタル)となるものです。
一方で、「社会資本」は社会を構成する人々の行動による関係、繋がりから得られる価値や利益などをいうこともあり、それを日本では「社会関係資本」やその他の表現が使われているようです。世界ではこの「社会関係資本」などと言われるものが”Social capital”(ソーシャル・キャピタル)となります。
日本では長く前者のインフラ、Social Overhead Capitalを「社会資本」としていたことから、「社会関係資本」などのSocial Capitalについては十分な研究が取り組まれていなかったように思っております。
これまでの話を普通に考えれば前者の「社会資本」も後者の「社会関係資本」も、いずれも「社会資本」であるのだから合わせて考えればよいだろう、となるでしょう。たしかに、いわば視点が違うだけでどれも社会を構成するために必要な資本であり、そもそも前者のインフラが先に「社会資本」と呼ばれるようになっていたことでそれとの混同を避けるために後者を「社会関係資本」などと言われるようになったのであって、有形であれ無形であれ、それらが社会を構成する要素=「社会資本」であることには変わりないと考えるでしょう。そうなると「社会資本」に認められ得る要素は他にもたくさんあります。例えば貨幣、経済活動も社会資本であると言えるのではないでしょうか。そうなると「社会資本」とされるものや事象は数限りなくあるように思われます。
私も以前はそのように考えておりました。しかし、社会とは何かという、社会の定義から考え直してみると、前述の「社会資本」と「社会関係資本」とは大きく異なるものではないか、という考えを持つようになってまいりました。
社会とは何か。
これは私たちが日々の生活を営む上で極めて重要なテーマです。
なぜならば、人は単独では生きていくことはできません。元より人は家族や隣人との関係の中で生きているし、そうしなければ生きていくことができないものです。独りで生きていくことができるというのであれば、山に籠るなどして外界との関係を遮断して、自給自足で生きていくことができるはずです。しかし、人は言葉を話す能力によって他者とのコミュニケーションを通じて日々の生活を豊かにしていくことができるという能力を持っています。言い換えれば、他者との繋がりがなければ人は生活を営むことが困難になるということなのです。
社会はその最小単位である家族から、地域社会、国家、世界までとその範囲が広く、また現代社会では対面での対話を通した繋がりが可能な社会に加えて、バーチャル世界の中での相互交流という新たな社会も存在します。しかし、全てに共通するのは人と人との繋がりであります。
社会については社会学の研究者がより広く、より深く詳しく研究をされておりますから、社会に関心がある方はぜひ社会学者の方々の研究をご参考にされるとよろしいと思います。
これまでお話をしていると、社会とは人と人との繋がりがあって初めて成立するものなのだ、ということが少し見えてきたのではないでしょうか。
社会は人と人との関係から始まり、互いの利害関係の中でその関係が変わっていくとともに、さらに大きな社会になると他者との関係が複雑に絡み合っている、だから社会を考えることは人と人との関係を考えることなのだ、と私は考えております。
さて、これまでの「社会資本」、Social Overhead Capitalを考えておりますと、その「社会資本」はすでに社会が出来上がっているところに、その社会の中での生活や産業の利便を向上させるために必要な設備となるものが「社会資本」であるように思います。
しかしながら、批判を覚悟で申し上げれば、現代社会においてこのような設備としての「社会資本」は企業の利益獲得を目的としたものに変容しているのではないでしょうか。本当に必要とされている設備ではなく、不必要なものであっても多様なメディアを通して必要であるように思わされ、導入と購入を促されているものが少なくないように思われます。環境保護、IT、デジタル化などをキーワードに新たなツール、設備、システムが開発されているけれども、それらは社会に必須なものなのだろうかと疑問に思えるものが少なくないのではないでしょうか。これは高度に発展し(過ぎ)た資本主義の影響を大きく受けているためではないかと考えます。「社会資本」が公共事業からの収入をあてにした企業の収入源になってしまっているのです。これはいわゆる悪循環ともいえる事象であると考えております。
この悪循環を変えるためには、現行のシステム、とりわけ政治と経済のシステムを大胆に、そして根本から変更し、立て直す必要があります。
本当に必要なものは何か、どうすれば人々の生活が豊かになるのか。今一度立ち止まって、真剣に考える必要があるのです。
そこで「社会とは何か」という、上述の内容が求められてくると考えます。
改めて社会関係について、Social Capitalについて、真剣に考え、未来に向けた新たな政治と経済のシステムを考える。今こそその時期にあるのではないでしょうか。
今後、世界的に地球規模での日本で言われるところの「社会関係資本」、Social Capitalの発展と充実を基本とした、新たな仕組み、新たなシステムづくりを進めていくことが求められるようになると私は考えています。
それを私は「社会資本主義」Social Capitalismと名付けています。
タイトルにもあるように、今回の内容についてはあくまでも“私的な見解”です。
したがって、今回の話には反論も批判もたくさんあることでしょう。反論、批判は大いに歓迎です。それが発端となり、新たな社会に向けての動きが始まることの方がより重要なのです。
2021.11.29
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