Social Capitalをさらに深く考えてみる。

これまで「SDGsを達成するために必要なこととは。」のお話の中で社会資本の重要性とSocial Capital(社会資本)が持つ可能性を考え始め、さらに「『社会資本』についての私的な見解。」においてはSocial Capitalについて、私が考えていることを思いのままに書き綴ってまいりました。
ここ最近、私はSocial Capitalについての調査、研究を続けておりますが、あらゆる文献、資料を参考にしておりますけれどもSocial Capitalはまだ確立された考えではないようであります。したがって、私はまだSocial Capitalを十分に理解しているというわけではありません。ただし、このSocial Capitalは我々の、いや、我々のみならず次の世代、またその次の世代の社会を、そして世界を根本から考え直すために必要な概念であると信じております。
そこで、今回はSocial Capitalをさらに深堀りして考え、社会にとってSocial Capitalがどれだけ重要なものであるのか、さらにSocial Capitalの考えが東北海道にどれだけにどのような影響を及ぼすのかについて言及できれば、と考えております。

前述しましたように私はSocial Capitalを調査、研究しており、その中でSocial Capitalは社会関係を形作る、まさに社会の資本であって、relationship(関係)、trust(信頼)、norm(規範)、reciprocity(相互関係、互恵性)、network(ネットワーク)といった要素があり、それらの各要素が相互に関係し合って、社会が形成されるのだということがわかってきました。すでにそのような話は知っていると仰られる方も多くおられるとは存じますが、私はまだ理解不足でありまして、このような基本的な話からスタートしなければなりませんし、その上でこれからSocial Capitalに注目し、理解を深めたいと考える方にも参考になるお話をしたいとも考えますので、基礎の基礎からお話することをお許しいただきたいと存じます。
ここで私が強く申し上げたいのは、上に挙げたSocial Capitalを形成する要素には費用の負担がないということであります。Capital(資本)とはいえ、社会が始まることにはお金がかからないのです。
人と人との関係(relationship)は言葉を交わすこと、挨拶をすることから始まるでしょう。
信頼(trust)は相手を思いやる気持ちから始まるでしょう。
規範(norm)とは慣習、通念、道徳、倫理など、人と人との関係の中で内在化される価値であって、社会を構成する複数の人々が遵守することでより安定した社会を形作ることができるでしょう。ちなみにnormとnormal(普通、正常)は同じ語源でしょうね。
相互関係、互恵性(reciprocity)とは「相手に何かをしてもらい、そのお礼に相手に何かをしてあげる」関係ですね。日本でも「情けは人のためならず」ということわざがありますが、まさにそのことであって、和洋を問わず社会関係を形成するためには大切な考え方です。
ネットワーク(network)は人はもちろん、社会同士、さらに言えば国家間の関係のことを指すことができるでしょう。社会が機能するためには互いの関係を大切にすることが求められるでしょう。
人間は他者との関係の中で生きていく、社会的な生き物なのであって、社会がなければ共感も利害の対立も起こりませんし、経済活動も始まりません。社会の基礎は人と人との関係のあり方であると考えております。

Social Capitalは社会が生まれ、継続していく中で不可欠なものであるのですが、それは決してポジティブで喜ばしいものだけではなく、ネガティブな側面もあります。特にSocial Capitalが限定された社会の中だけで機能することで「彼らは我々とは異なる価値観を持っている」とか「彼らの考えは我々には受け入れられない」といった対立や疎外といったマイナスの効果が表れることもあります。宗教対立や人種問題などはその一例でありましょう。これらが悪であるとも言える半面、これらがまた新たな社会を形成することもあり、悪と言えない場合もないとも言えません。しかし、少なくとも対立や疎外は好ましくないものと考えます。

また、Social Capitalを考える上で難しい問題として、Social Capitalをどのように数値化し、計測するかということが挙げられます。ある社会と別の社会を比較して、Social Capitalがどの程度充実しているかを測ることはできるのだろうか、ということであります。これは私も非常に難しいものであると感じており、例えば社会を構成する人々の幸福度をどのように計測すれば良いのだろうか、と考えます。これについてはSocial Capitalが持つ課題の一つとなるでしょう。
ただし、Social Capitalを考える際によく取り上げられる以下の事例が何らかのヒントになるかもしれないとも思っております。
ある人が家でパンケーキを焼こうとするとあいにくお砂糖がなかったという事例です。お砂糖を買いたいけれど、お砂糖を売っているお店は遠く、15キロ離れたところにあって、車で往復45分をかけて5ドルの燃料を使うことになる。しかし、お隣さんがお砂糖を持っていて、たった数分で10セント分の砂糖を分けていただくことができた。結果的にそれでパンケーキを焼くことができるならば、お砂糖を買いに行くコストと時間、お隣さんに分けていただいたコストと時間には同じ価値がある、ということになります。一方で、お隣さんが花壇にお花を植えるのにどのようにアレンジしようかと悩んでいたところ、その人はお花の植え方を良く知っているので、お砂糖を譲っていただいたお礼にお花の植え方を教えてあげることができたとします。そこに先ほどの互恵性(reciprocity)が成立し、互いに利得(benefit)があったということになります。きっと幸福感もあることでしょう。
Social Capitalを計測することは非常に難しいのですが、他者、他社会との比較をするべき時にはいずれ数値化し、計測することが求められることになると考えます。

私は、現代社会において日本は高度に、むしろ高度過ぎるほどに発達した経済主導型の資本主義社会となっていると見ております。そのため、様々な問題、課題が発生した場合には何でもお金で解決してしまおうという考えを強く感じることがあります。しかし、世の中にはお金で解決できない問題も当然多くあり、その場合に求められるものは、時にはrelationship(関係)であり、時にはtrust(信頼)であり、norm(規範)であり、またreciprocity(互恵性)であり、network(ネットワーク)であり、と、それぞれの場面でその効用を使い分けながら、また組み合わせながら解決を結び付けているのではないでしょうか。それらは全てSocial Capitalと言えるものであって、その意味ではSocial Capitalが社会において大きく関わっていることは間違いないものと考えます。そして私は、これからの時代、将来世代に向けて引き継ぐべきものはお金よりもむしろSocial Capitalであるのだろうと考えます。

さらに、東北海道は日本の中にあって首都圏に比べると経済的には全く“遅れている”と言われるかもしれませんが、その分、首都圏に比べて経済重視からSocial Capital重視の社会に路線変更しやすいように思っております。この際、新たな取り組みを東北海道から進めて、これからの世界のスタンダードとなるSocial Capital重視の社会を目指して、いち早く取り組んでいくモデル地域となるような取り組みを始めることは決して不可能なことではないと考えております。
その取り組みを始めることで、昨今のSDGsが目指すところの「持続可能な社会」の実現にも少しだけ近づけるかもしれません。もっともSDGsは「持続可能な開発目標」であって、私は「持続可能」と「開発(=経済成長)」は切り離すべきだと考えております。「持続可能」を重んじれば「開発」は諦めるべきであって、どちらも追い求めることは「二兎を追う者は一兎をも得ず」に繋がるのであり、ここでは「持続可能」を重視すべきだと考えております。

将来世代が生きる新たな社会の実現に向けてSocial Capitalの充実を小さな取り組みから始めて、世界の先駆けとなる可能性が東北海道にはあるのではないだろうか、と考えております。
私はこれからもさらにSocial Capitalを調査、研究するとともに、その先にあるかもしれないSocial Capitalism(社会資本主義)の実現可能性についても思考を巡らせてまいりたいと思っております。

2021.12.15

コメント

タイトルとURLをコピーしました