今回は東北海道の交通事情の現状と未来について、「その1 国道編」に続き2回目は鉄道の現状と未来について考えてまいります。
鉄道網においては、1987年(昭和62年)4月1日の日本国有鉄道分割民営化以降、日本全国においても次々と鉄道路線が廃止されてまいりましたが、この東北海道においても同様に数多くの鉄道路線が廃止されてきました。そこで、東北海道における現在運行中の鉄道路線の現状に加えて、過去に廃止された鉄道路線も合わせてご紹介してまいります。
冒頭に「現状と未来について」と書きましたが、現状と未来に加えて過去も、ということになります。
まずはJR北海道の、現在運行されている東北海道を通る鉄道路線を確認してみましょう。
今回も、国道網の場合と同様に、鉄道路線名と、その起終点、経由地を列挙してまいります。
分類 | 鉄道路線名 | 起終点・経由地 |
幹線 | 根室本線 | (滝川市 ‐ ) ‐ 新得町 ‐ 清水町 ‐ 芽室町 ‐ 帯広市 ‐ 幕別町 ‐ 池田町 ‐ 豊頃町 ‐ 浦幌町 ‐ 釧路市(音別町) ‐ ‐ 白糠町 ‐ 釧路市 ‐ 釧路町 ‐ 厚岸町 ‐ 浜中町 ‐ 根室市 |
幹線 | 石勝線 | (千歳市 ‐) ‐ 新得町 |
地方交通線 | 宗谷本線 | (旭川市 ‐ ) ‐ 幌延町 ‐ 豊富町 ‐ 稚内市 |
地方交通線 | 石北本線 | (旭川市 ‐ ) ‐ 遠軽町 ‐ 北見市 ‐ 美幌町 ‐ 大空町 ‐ 網走市 |
地方交通線 | 釧網本線 | 網走市 ‐ 小清水町 ‐ 斜里町 ‐ 清里町 ‐ 弟子屈町 ‐ 標茶町 ‐ 釧路町 ‐ 釧路市 |
以上のように東北海道における鉄道路線はJR北海道の幹線が2路線、地方交通線が3路線の計5路線のみとなっております。これらの路線を地図上に配置すると以下の図のようになります。東北海道の地域外については点線で表しております。また、釧網本線以外の各路線については、函館本線の一部である旭川市(旭川駅)と札幌市(札幌駅)、千歳市(南千歳駅) と札幌市(札幌駅)を繋ぐ路線を表してみました。

かつては多くの鉄道路線があり、鉄道は地域の足としての機能を持っておりましたが、累積赤字により存続が難しくなり廃線を余儀なくされた、というのは先にも述べたとおりであります。地域住民が地元選出の国会議員を利用したのか、あるいは国会議員が地元住民の支持を集めるためなのかはよくわかりませんが「我田引水」ならぬ「我田引鉄」によって日本の全国各地に鉄道路線が敷設され、そして廃線となっていきました。もちろん東北海道も例外ではありません。鉄道が多くの人々の生活を支えていき、そして地域経済や生活環境の変化とともに消えていきました。また鉄道の廃線によって人々の生活はより大きな変化を余儀なくされたということもまた事実であります。
それでは、これまでに廃線となっていった鉄道路線を、東北海道分に限って以下に列挙してまいりましょう。今回は五十音順となっております。
鉄道路線名 | 起終点・経由地 |
相生線 | 美幌町(美幌駅) ‐ 津別町(北見相生駅) |
興浜南線 | 興部町(興部駅) ‐ 雄武町(雄武駅) |
興浜北線 | 浜頓別町(浜頓別駅) ‐ 枝幸町(北見枝幸駅) |
根北線 | 斜里町(斜里駅 ‐ 越川駅) |
標津線 | 標茶町(標茶駅) ‐ 別海町 ‐ 中標津町 ‐ 標津町(根室標津駅) |
士幌線 | 帯広市(帯広駅) ‐ 上士幌町(十勝三股駅) |
渚滑線 | 紋別市(渚滑駅) ‐ 滝上町(北見滝ノ上駅) |
白糠線 | 白糠町(白糠駅 ‐ 北進駅) |
池北線 | 池田町(池田駅) ‐ 本別町 ‐ 足寄町 ‐ 陸別町 ‐ 置戸町 ‐ 訓子府町 ‐ 北見市(北見駅) |
天北線 | [音威子府村(音威子府駅) ‐ ] ‐ 中頓別町(小頓別駅) ‐ 浜頓別町 ‐ 猿払村 ‐ 稚内市(南稚内駅) |
名寄本線 | [名寄市(名寄駅) ‐ ] ‐ 西興部村(上興部駅) ‐ 興部町 ‐ 紋別市 ‐ 湧別町上湧別 ‐ 遠軽町(遠軽駅) 支線: 湧別町上湧別(中湧別駅) ‐ 湧別町(湧別駅) |
広尾線 | 帯広市(帯広駅) ‐ 幕別町 ‐ 帯広市 ‐ 中札内村 ‐ 更別村 ‐ 幕別町忠類 ‐ 大樹町 ‐ 広尾町(広尾駅) |
湧網線 | 湧別町上湧別(中湧別駅) ‐ 湧別町 ‐ 佐呂間町 ‐ 北見市常呂 ‐ 網走市(網走駅) |
東北海道には上記の13路線の他にも地元の事業者が敷設し、廃線された軽便鉄道が多数ありましたが、ここでは旧国鉄、JRの廃止路線のみとしておきます。また、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(旧・池北線)のように第3セクター運営により存続が行われて路線名が変更になったものもありますが、今回は一律に国鉄の路線名で表記しております。
そして、表に挙げた路線を、上に示した地図に追加してトレースしてみました。

現行の鉄道路線に付随してより細かく鉄道路線が敷設されているようにも思われますが、実際には全ての町村に路線と駅が設置されているわけではありません。これには多くの鉄道が木材や農産物、魚介類などの農林水産業、石炭などの鉱業の物資輸送を主な目的として敷設され、住民の移動は2次的な目的であったからなのではないかと考えます。したがって各産業の衰退とともに鉄道の利用目的が失われ、さらに各産業に従事していた人々も地域外に移動していくなどして過疎地域が増えて利用者も減少し、やがて廃線という道を辿っていったように思っております。それでも地域住民が比較的多い都市部を繋ぐ路線は残って現行の鉄道路線だけは存続し、現在に至っているということになります。
さて、廃線となった路線ですが、レールを撤去して全く利用しなくなった路線もあれば、改めて舗装をせずに遊歩道やフットパス、ロングトレイルの一部として利用している路線もあり、あるいは舗装し直してサイクリングロードとして利用している路線もあります。さらにはレールや駅舎を一部だけ残して道の駅などの観光施設を建設したり、トロッコ列車の乗車などの観光体験を提供したりと、廃線後の利用方法は様々にあります。ただし、鉄道路線を運輸、運送目的に再利用するという例は、東北海道では行われておりません。過去には鉄道軌道を残してそこに軌道と道路の両方を走るデュアル・モード・ビーグル(DMV)を運行しようとする試みも行われ、専用車両の開発も進んでおりましたが、JR北海道では北海道新幹線の整備に莫大な費用が必要であり、2015年にDMVの開発を断念したそうです。廃線となった鉄道路線の沿線の町村ではなるべく費用をかけずに住民の足を確保することが求められ、基本的には一般道路を利用した路線バスへの転換が基本となっているようです。
一方で日本全国に目を向けてみますと、例えば東日本大震災の被災地域にあるJR東日本の気仙沼線・大船渡線などではバス高速輸送システム(バス・ラピッド・トランジット、BRT)が運行されています。これは廃線となった鉄道路線を舗装し直してバス専用車線とし、実際にバス路線として定期運行がなされております。
先ほど廃線後の鉄道路線を、遊歩道やサイクリングロードにして利用しているというお話をいたしましたが、実際にその遊歩道を歩いている地域住民はどれくらいいるでしょうか。あるいは旅行者がその遊歩道やサイクリングロードを利用しているでしょうか。少なくとも私が見ている限りでは、当初期待されたほどの利用がなされているようには思いません。さらに冬期間には降雪もあって、除雪すらされずに全く利用されていないように見ております。
東北海道では地域間の移動手段が基本的には自家用車、それでなければ路線バスに頼るしかなく、しかし地域によっては路線バスさえも走っていないというのが現実の姿でありましょう。地域が過疎化、限界集落化、さらには消滅集落化となっていく原因は様々にあるでしょうが、移動手段が限られることでさらに地域での生活がより不便なものになっていくということは現実問題としてあり得ることではないでしょうか。例えばケガや病気で治療が必要な時になっても病院に行く手段が限られ、学校に行くにしても通学の手段が限られ、早朝に登校し、下校しても夜遅くまで帰宅できないこともあるでしょう。物流の面ではトラック輸送で補うことができるとしても、地域住民の移動手段が限られることによって上記の例でいえば医療面や教育面での地域間格差を助長することに繋がるのであれば、路線バスを補完する移動手段も必要になるものと考えます。そこで移動手段を補完するために改めて鉄道の廃線跡を効果的に利用することを検討しても良いのではないでしょうか。ついては、今後は鉄道の廃線跡をバス専用路線として再利用し、BRTの導入を検討することも一考の余地があるように思うのです。実際に運行するとなればその利用方法、費用負担についても詳しく考えていかなければなりませんが、将来の交通手段としての可能性が皆無であるともいえないのではないでしょうか。
以上、鉄道の現状から過去と未来について思いつくことを思いつくままに書いてまいりました。
東北海道における鉄道の存在は地域の興亡盛衰とともに大きくその姿を変え、限られた路線が残って現在に至っています。廃線となった鉄路が復活することは極めて難しいでしょうが、廃線跡の利用については、観光客の集客のために使うべきか、それとも地域住民の生活のインフラとして再利用するのか、あるいはその他の利用方法があるのか、今一度考え直してみることも必要になるのではないでしょうか。
2021.09.23
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